◇尾瀬の歴史
四季おりおりの美しさを見せる尾瀬。しかし,この豊かな自然は,多くの人の努力で守られてきたのです。こうした運動の中心となって活躍したのが,長蔵小屋歴代の小屋主平野長蔵,長英,長靖の三氏です。
長蔵氏は,明治22年に燧ヶ岳に初登頂以来,太古の自然が息づく尾瀬に魅せられ,尾瀬沼のほとりに長蔵小屋を建てました。折しも尾瀬の水資源を利用するため尾瀬ヶ原を水没させる計画が出され,長蔵氏は反対を唱えましたがなかなか賛同者が得られませんでした。しかし,昭和9年尾瀬は日光国立公園の一部に指定され開発による環境破壊の危機は去ったかに見えました。
しかし,今度は昭和19年尾瀬沼からの取水工事が開始されました。長英氏は学者たちと反対運動を繰り広げましたが,昭和24年工事が終了。沼尻に堰堤が三平下には取水門ができ,樹木や湿原の一部が枯れてしまいました。
さらに,尾瀬に自動車道を通す工事が強行され,沼山峠・鳩待峠への自動車道が完成しました。その時,環境庁長官への直訴を始め,自動車道建設反対に奔走したのが長靖氏です。その甲斐あって大清水と三平峠を結ぶ自動車道はやっと阻止されました。今,尾瀬が直面している最大の問題は「オーバーユース(過剰利用)」問題ですが,この自動車道建設が引き金となっているのです。
[ ← ]
[ 戻る ]
[ → ]
|